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zoom RSS 映画 『のぼうの城』 石田三成勢の2万人の大軍に500人の兵で立ち向かった実在の武将を描く     

<<   作成日時 : 2018/06/16 10:50   >>

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公開  2012年(平成24年)

配給  東宝

原作  和田 竜

監督  犬童一心・樋口真嗣

日本アカデミー賞 優秀作品賞外9部門で受賞

TBS開局60周年記念作品


この物語は、約四百年前の史実に基づいている


戦国時代末期の天正十八年(1590年)

天下統一を目前にした豊臣秀吉(市村正親)は、

関東最大の勢力・北条氏の小田原城を攻略しようとしていた(小田原征伐)。


豊臣側に抵抗した北条氏政(中原丈雄)は、

関東各地の22支城の城主に、籠城に参加するよう通達した。


支城の一つであった忍城

(おしじょう=現在の埼玉県行田市に存在していた)の

城主・成田氏長(西村雅彦)は、

北条氏に従うように見せかけ、

手勢の半数を引き連れて小田原籠城作戦に赴きつつも、

裏では豊臣側への降伏を内通していた。


「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」と秀吉に命じられた、

石田三成(上地雄輔)は2万の大軍勢を率いて忍城に迫る。


周囲を湖に囲まれ、

浮城とも呼ばれる忍城の領主・氏長の従弟・成田長親は(野村萬斎)、

智も仁も勇もないが、

農作業が好きで、よく領民の作業を手伝いたがるが、

不器用なため、どちらかというと迷惑をかけている。

家臣はおろか百姓らからも、

その姿から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれるが、

本人は全く気にしていない。

本名で呼ぶのは、氏長や身内・重臣のみである。

愚鈍な人物と思われているが、実は非常に誇り高く、

民百姓とも分け隔てなく接することのできる度量の広い人物でもある。

このため百姓・足軽等、身分の低い者たちからは非常に慕われており、

百姓達も長親のためならば命を賭けることさえ厭わない。


三成に軍使として遣わされた長束正家(平 岳大)は、

成田氏が既に降伏を決めていることを知りながら、

戦を望む三成の挑発を仕掛けるためにあえて傲慢な振る舞いをし

(正家は元々弱者には高圧的に、強者には弱く応じる)、

さらに「甲斐姫を殿(秀吉)に差し出せ」という要求に対し、

まんまと策略にはまった総大将・長親は「戦いまする」と宣言する。


2万の大軍に対し忍城の兵士はたったの500人。

そのうえ総大将たる長親は、将に求められる武勇も智謀も持たない、

その名の通りでくのぼうのような男。

だがこの男にはただ一つ、他人に好かれる才能、

特に異常なほどの民からの「人気」があった。

長親に思いを寄せる城主の娘・甲斐姫(榮倉奈々)、

歴戦の強者である長親の幼馴染・正木丹波守(佐藤浩市)、

丹波の好敵手である柴崎和泉守(山口智充)、

軍略の天才を自称する酒巻靭負(成宮寛貴)・・・

圧倒的に長親側が不利な戦いだが、

長親が戦うことを聞き長親を慕う百姓たちも立ち上がるー

それでも3千強の成田勢。


大軍を前に、忍城軍は農民や老兵までもが侍に交じって活躍した。

地の利と士気の高さを生かした攻撃、騎馬鉄砲や火攻めなど、

さまざまな戦術で三成の軍を退ける忍城軍を見た大谷吉継(山田孝之)は

警戒心を抱くが、三成は闘志を燃やす。


簡単に落とせると思った忍城が手強い相手だと知った三成は、

近くを流れる利根川を利用した得意の「水攻め」を行うことを決意する。

忍城の周辺に総延長28キロメートルに及ぶ巨大な人工の石田堤を建設し、

利根川を決壊させた濁流は

一気に忍城と城下本丸を除いて家屋や田を一気に沈めてしまった。


この水攻めに対する長親の策は、

城を囲む湖に船を出して、敵兵の前で田楽踊りを披露することであった。 

長親は舟を漕いで敵軍の前に進み出て、田楽踊りを披露する。

これは三成の軍にも人気を博した。

踊っているのが長親だと知った三成は

雑賀衆に指示を下して、田楽踊りを踊る長親を狙撃させた。

幸い長親は左肩に傷を負うだけで一命を取り留める。


城に入らず雇われて場外で堤作りをしていた百姓たちは、

水田を台無しにされたことに加え長親が銃で撃たれたのを見て怒り狂い、

こっそりと石田堤を壊した。

堤は決壊し、三成の水攻めは失敗する。


水が引き、三成軍が総攻撃を行おうとする矢先、

小田原城が落城したとの知らせが成田勢にももたらされ、

忍城も開城することを決める。


小田原城落城時までもちこたえた支城は忍城だけだった・・・・・


当初は2011年9月17日公開の予定だったが、

「水攻め」のシーンがあることから東日本大震災による津波被害に配慮し、

公開日が2012年11月2日となった。


行田の観光

 ・日本遺産 「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」)

 ・埼玉古墳群(埼玉県立さきたま史跡の博物館・さきたま古墳公園)
     
     行田市大字埼玉(さきたま)は、

     古くは『万葉集』に「さきたまの津」という記述があり、

     『風土記』にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」

     とあるように、

     「埼玉県」という地名の発祥地であるとされる
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 ・忍城 御三階魯1988年2月27日開館
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 ・石田堤

 ・古代蓮の里





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